移り変わりの著しい時代をすこやかにしなやかに生き抜くために。バランスのとれた真のウェルネスへ誘うべく、マインドフルネスをはじめ、美容、養生、生き方など、今すぐに役立つTIPSを様々なアプローチでご紹介します。
大富いずみ監督と問う。無意識下に潜む偏見や差別とどう向き合う?
ここ数年、マイクロアグレッションと言うべき、“人が持つ自覚のない偏見や差別”を題材にした興味深い作品が次々と発表されています。国際短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル&アジア(SSFF&ASIA)」の特別プログラム Ladies for Cinema Projectで、世界で活躍する女性フィルムメーカーの作品としてオンライン会場で先行公開中の『SHIBUYA,TOKYO 16:30』もそのひとつ。密室で起きるいびつな力関係を可視化するようにカメラにおさめ、SNSを中心に“語られてこなかった痛み”に対する様々な声を集めています。なぜ人間は他者を傷つけてしまうのか。無意識のうちに自分が人を傷つけないためにはどうすべきなのか。監督・脚本を手掛けた大富いずみさんに、お話を伺いました。
他者の痛みを
想像するきっかけに
人間が持つ自覚のない偏見や差別意識、見えない暴力や痛みを描いた作品を作りたいという欲求は以前からありました。描くことで私自身がそれについて知り、考えたいという想いがあったのと、実際に起きていることを見ていて、どんなに言葉にして伝えても生身の人間の痛みとして実感を持って理解されづらい側面があると感じていたからです。先日も大きな反対運動が起きた入管法の問題にも通じることですし、あらゆる差別や暴力に関して言えることですが、そこに暴力があることすら認識されていない場合も多い。性暴力に関しては#MeTooのムーブメントもあり、最近では日常的にメディアでも取り上げられさまざまな議論が交わされるようになりました。それでもなお多くの方が、自身の負った傷を周囲に理解してもらおうとする過程で疲弊して、自分を原因にして責めたり、無かったことにするしかなくなってしまう姿を目の当たりにしてきました。
特にこの作品に描かれているような男女間の見えない暴力に関しては顕著かもしれませんが、たとえば周囲のリベラルな考えを持つ男性に意見を求めてみたときに、途端に話が通じなくなることがしばしばありました。「そんなことはしない」人たちほど、「それが起きている状態」を思い描くことができない。その人の中にある知性や思いやる力を、想像することができないからそこに向けることができない、ということが起きている。そういうこともあって、周りからは見えない痛みを切り取り、どう思いますか?と差し出すような作品を作りたいと思ったんです。他者から理解されずに自分を責めて苦しんでいるかもしれない方たちに届けたいという想いもありました。幸い、志を共にするプロデューサー達が企画に賛同してくれて、素晴らしいスタッフとキャストに恵まれ、作品を形にすることができました。
―SNS等を中心に“語られてくることの無かったごく身近な物語”として、たくさんの声を集めています。
自分の考えや想いを伝えることで仕事や人生の何かが脅かされてしまう、そういう方たちの力に、間接的にほんの少しでもなれたのだとしたらとても嬉しいです。観てくださった方たちが、これまで想いを馳せることのなかった他者の痛みを想像するきっかけにこの作品がなれたらというのが願いではありますが、現実には「なんではっきり拒絶しないの?」という方や、そこに描かれていることを暴力と認識しない方もたくさんいると思うんです。だからこそ、SNS等でコメントをいただいているように、「主人公の気持ちがよくわかる」「似たような経験をしたことがある」という声が可視化されることによって、「え、これをわかるっていう人がこんなにいるの?」と、そもそも生きているリアリティそのものが違うんだということに気づき、初めて自分の認識を疑うことができるのではないのではないかと思っています。
人間は間違えながら
変化し続ける生き物
―何らかの条件が揃えば、自分も無意識のうちに傷つけてしまう側になってしまう可能性も大いにあります。大富さんご自身は人と接する中で、または作品をつくる上で気をつけていることはありますか?
自分には認識できていないことが必ずある、という前提を持って、「今自分は何が見えていないんだろう?」と問うことをできるだけ忘れないようにしたいと思っています。もちろん常に完璧にはできなくて、後悔したり反省したりすることはたくさんあるのですが……。それと、人の痛みをちゃんとその人のものとして敬意を持って扱う、ということでしょうか。自分の尺度に当てはめて勝手に理解したつもりになったり、自分の人生を身勝手に投影したり、理解できないことを否定したりするのではなく、相手の経験や感情をきちんと相手のものとして向き合うということは、大人になればなるほど努力が必要だと日々感じています。
また、相手の痛みが想像できない時、自分の中で、暗いものは見たくない、自分は日の当たる側の人間でいたい、苦しむのはその人間が弱いから、間違っているからというような公正世界信念的な前提がはたらいていないか?と問いかけるのも大切だと思います。
―予防策としてマニュアルやセオリーから学べることもありますが、その網目から漏れるようなものがたくさんあるのも事実。だからこそ、自分のリアリティの外に広い世界が広がっていることを意識し、人の痛みに想像力を働かせる鍛錬が必要ですね。
この社会に生まれて生きてきている以上、制度や文化・慣習に組み込まれた無意識の偏見や差別から100%自由であることはほぼ不可能だと思います。私自身もこれまでも今も間違いに気付いては修正してを繰り返していますし、これからもどんなに気をつけても間違いを犯してしまう可能性はいくらでもあると思っています。だからこそ日々自分を戒めることはもちろん、自分自身が内面化しているかもしれない価値観を点検したり、自分を振り返り間違いのもとになった前提を探したりすることは大切だと思います。そしてそれらを見つけた時に、自己防衛に陥らず認識を改める謙虚さを持ちたいと思っています。
そのスタート地点として、今自分たちが直面している問題や“リアリティの認識の違い”は、個人と個人のレベルの話だけではなく、両親や祖父母やそれよりもっと前の世代によって社会構造に組み込まれ、私達の無意識に刷り込まれてきたものだということを認識することも大事なのではないでしょうか。だからこそ、自分は偏見などない、と思う人も含めて誰もが能動的にそれに気づこうとする必要があると思います。長い歴史の中で人間がこれまで様々な変化を続けてきているその大きな流れの中に私達はいます。自分の正しさを証明しようとすることに固執せず、変わることが当たり前なのだ、そして変化は続いていくものだという認識を持つことが大事なのではないかなと思います。
無意識下ゆえ、誰もが被害者にも加害者にもなり得る可能性があるマイクロアグレッション。後編では、大富さんが自身の価値観をアップデートするきっかけになったという作品をご紹介します。
大富いずみ/映画監督
映画製作会社に勤務しながら様々な映画作品に英日通訳や演出部などで参加したのち、独立。長編映画のほか、ショートフィルムやWeb CMの演出も務める。
Instagram @izumiohtomi
Instagram @shibuyatokyo1630
Text_ Yuko Homma
Editorial Direction_ Little Lights