ものづくりの背景に敬意を払いクリエーションを讃える。サステナブルをテーマに、アーティストや起業家をはじめ想いを共有する挑戦者たちを紹介。彼らのヴィジョンから自分らしいスタイルのヒントを見つけ出します。
陶芸家、野口寛斉が奏でる削ぎ落とされた造形美
自宅の一部を改装したアトリエに、乾燥中の作品が並べられたサンルームからの明かりが注ぎ込む。和室の奥の押し入れからストックされた作品の数々が覗く。室内に流れる、簡素な生活感と洗練がはじき出す規則的なリズム。壁にかかったフランシス・ベーコンのペインティング、棚に置かれたカラフルな初期の作品、実験を重ねた色とりどりの釉薬、重厚感のある古いプレイヤー。野口寛斉を形成するものすべてが調和を保ちながら作品誕生の瞬間を見守っている。かつて音楽家を志した陶芸家を訪れたのは年末。どこか異国的で、手に届きにくい造形美や心理描写を形にしたような不確かな憧れを形にする野口の作品は、まるでファッションのように見るものを魅了し、所有欲をかきたてる。EQUALAND TRUST AND INTIMATEに通じるものを感じて、制作の背景を訪ねた。
ーまず、代表的な縄文土器がベースとなった”JOMON”シリーズのインスピレーションなどをお聞かせいただけますか?
元々、土偶や土器などが好きなんです。縄文時代の土器は中期のものが装飾が控えめで、新しくなるほど模様が入っています。スタイリッシュで素朴なそれらの中期縄文土器からイメージを膨らませて、自分の中で抽象的に落とし込みました。縄文時代では存在しなかった釉薬を掛け合わせることで現代らしさを融合しています。
ー素焼きの風合いを残した“SKIN”、無骨な表情を持つ白い表面に黒い釉薬をかけた”YAKISHIME”。シンプルで名の通りどんぐりのような”ACORN”シリーズ。これらはどのような段階を経て発展したのでしょうか?
以前はポップアートのようなエキセントリックなものにすごく興味があったんです。釉薬の反応や色などに心酔していた時期があったんですが、だんだんと削ぎ落とされていったものが”SKIN”や”YAKISHIME”です。以前は”JOMON”の形状に色をつけていましたし、その後の”ACORN”は、色使いの最終形態でした。様々な色を試していたんですが、そのうちに自分の中で飽きがきたんですね。それに、多色の使用は自分にとってもいろいろと負担になるので、絞っていきたいなという思いがあったんです。
ー色彩に富んだものからシンプルなスタイルへ進むにあたりどのようなきっかけや影響があったのでしょう。
最初にやり始めた時と今では良いと思うものが変わって来たんですね。きっかけはわからないですが、最近は朝鮮の白磁などが気になっています。以前は西洋のものが好きだったんですが、今はアジアのものが好きになってきています。
ーそんな中で、“MEHRGARH”シリーズが誕生しました。
1番最近のシリーズですね。20年の3月くらいにVOICEさんで行なった個展で大々的に展示したシリーズです。パキスタンのメヘルガル遺跡から発掘された土偶がインスピレーションになっています。メヘルガルの土偶は日本の土偶よりも奇妙で、耳がすごく特徴的なんです。それを元々ある”JOMON”シリーズにつけることで、それがもう少し人形っぽく、土偶っぽくなる。これも色々やった中で削ぎ落とされていった結果です。自分のデザインの芯にやりすぎない、っていうのがあるのかもしれません。行きすぎると自分の中で綺麗に収まっていない気がして。目をつけてみたこともあるんですけど、それはやりすぎでしたね。
ー作品を実際に拝見すると、写真で感じたよりも優しい雰囲気で、生活に寄り添っているものが多く見受けられます。器のシリーズではどのような想いを込めていますか?
始めたきっかけは”使う”というよりも”装飾”なんです。陶芸をやり始めた当初はこれで食べていくこともできなかったので、彫刻のアシスタントをずっとやっていたんです。その時にちゃんと美術に触れた仕事をやり始めた。すると、やっぱり僕は装飾の方が好きで、花瓶やオブジェを作り続けていたんです。やがて、陶芸家達と触れ合うようになって、自分も陶芸家になって、”使う”というルールを追加した時に僕は何もできなかった。使い勝手のよさや、ルールの中でのデザイン性も含めて、ルールの中で作っている陶芸家ってすごいな、と。そう思い初めて自分も挑戦して行こうと思って器も作り始めたんです。ですから、器に対しては陶芸家へのリスペクト、追いつきたいという思いで作っています。僕自身は職人という風には思っていなくて、美術をやっているというイメージなので。そこがちょっと陶芸家とは違うところかもしれないですね。
ーご自身にとっては、スキルアップのためのミッションだったんですね。
そうですね。通らないといけない道なのかなと思ってやっているっていう感じですかね。でもその中で釉薬が生まれてきたというか。素焼きの色を出しながらテカりすぎずにちょうど良いマットっていうのが、研究でたどり着いた釉薬なんです。
ー素焼きのような色に、うっすらと纏った釉薬が絶妙でほのかな上品さを醸し出していますね。釉薬を開発するのはどのぐらい大変なものなんですか?
人それぞれゴールがどこかっていうのはあると思うんですけど。例えば、窯元で生まれた人たちは伝統を継承するため逸脱した表現ができないから、研究をしないことが多い。僕らみたいにどこかからきたのかわからない作家みたいなのは、釉薬に興味があって研究したりするんですけど。釉薬の種類によって難しさも分かれていて。なので一概にどのくらい難しいかっていうのは言えないんです。ただ、僕は釉薬に一番興味があって最初から研究していたので。今7年目でこの色にたどり着いたっていうのは結構大変だったかなと。
ー陶芸家になる前は音楽をされてたとのことですが、どのような音楽をされていたんですか?
ブラック・ミュージックです。R&B、ソウル、ヒップホップとかに影響されて音楽を始めたんです。福岡から東京の事務所に契約して3年後、バンド解散の時期にアメリカに3カ月程度留学したんですが、本物を見た時にこれはもう無理だなと思って音楽をやめる決意をしました。でもその時同時に、もう一度ここへ戻って来たいと思ったんですよね。新しい夢というか。日本人として何をすれば世界に挑戦できるかみたいなところで。たまたま向こうにいた友達が美術の仕事をしていて、その人にギャラリーに連れていってもらったりしたっていうのがきっかけで、陶芸良いなって思い始めて。帰国して、その辺の陶芸教室みたいなのに入って。それからこれだなと思い始めて、ちゃんとしたところに通い始めて、習いっていう感じですね。
ーイサム・ノグチの作品に出会った時に最初にリンクした部分ってどういうところでしたか?
最初にうわって感じではなかったんですよ。ただ、外国で日本人の名前を見つけるのが嬉しかったし、こんなに有名になるっていうことは何かがすごいわけじゃないですか。それを探りたくなったんですよね。それから調べていったり、探っていう中でだんだんこの人の凄さっていうものが分かってきて。イサム・ノグチに関して好きなところは”逆輸入感”みたいなところなんですよね。僕もその感覚は作品に込めれたらなと思って作っています。
ーモダンさというか無国籍な感じは表現として意図して作られているんでしょうか。
なかなか目に見えないところなので、なんとなくこういう感じでいろんな国のことが混ぜられているのかなって作っているだけですけどね。作る過程は、絵に描いて落とし込む時もあるし、作りながらやっていく時もある。降りてくるの待ちみたいな感じもあります。
ー音楽との関連性を意識的に制作することはありますか?
いや、音楽的なものは特に入れ込もうとしたことはないです。なんでも意図的に取り込むと、わざとらしくなるじゃないですか。音楽は十何年やってきたので勝手に出るんじゃないかと。そういう意味で、日本的なものも無理やり入れようとするイメージは無いですね。元々持っているし、自然と出るかなと。どうしても凛としたものとかが良いと思っちゃうじゃ無いですか。
ー版画作品も作られています。
そもそもは紙の版画なんです。画用紙みたいな紙を鋭利なもので削ってその溝にインクを乗せて。一般的な版画は掘ったところが白くなるんですけどドライポイントは逆なんですよ。代官山のアートフロントギャラリーで展示会してもらってます。版画の作品は来年もっとやろうかなと思っています。コロナなので、展示がどうなるかわかりませんが、とにかくやることはやっていこうかと。
ーオフの時間はどのようなことをしてますか?
特に趣味も無いんですよね…。でも動物は本当に好きですね。ずっと一緒にいるから、見てて面白いし。犬ぐらいかな。仕事している以外はソファーに座ってYouTube見ているぐらいです。K1とか、格闘技系。スポーツ好きなんです。陶芸をやってない時には頭空っぽにしたいんですよね。
ーファッションブランドなど多種コラボレーションをされていたりしています。他のクリエイターさんとの交流は活発な方なんですか?
いや、ギャラリーの繋がりぐらいです。アンデコレーテッドの河野くんは3年前ぐらいに僕の展示会を見に来てくれて、それから連絡取るようになったんです。ファッションとアートって普通に展示会やるととってつけたようになっちゃうから、良い感じで落とし込めないかっていう話で2、3年過ぎていたんです。コロナになったことがきっかけで、家の中で楽しむものというテーマで、アンデコがホームウェアを作ってくれて同じ空間でやりましょうという形になったんです。”YAKISHIME”と"SKIN”に向こうが合わせてくれたんですが、アンデコも洋服自体に染めの顔料を入れなかったりする。ニュートラルなデザインだったので”SKIN"に合ってたかなと。
ーEQUALANDの服はサステナブルな生産背景を軸としています。民藝はサステイナビリティと繋がりやすいものの一種ですが、野口さんは作家さんとして持続可能な暮らしについてどのように考えられていますか?
最近オラファー・エリソンをはじめ、環境問題をアートで表現していくという作品をよく見ますが、正直そこはすごく勉強不足を感じていて。僕がやるやらないは別として掘り下げないとなって思っていたところです。僕自身が制作において意識したこともありません。今僕がやりたいのは自分の中にあるものをただ形にすること。それでも知識だけはちゃんと持っておかないととは思うので今から勉強していきたいですね。
陶芸って土掘って、木切って、火炊けばできるものなので、テクノロジーとかとは真逆な部分もある。とはいえ、全くオリジナルで新しいものを作るというのは僕はあんまりもう出来ないと思っていて。何かと何かを融合させてオリジナルを作っていくのかなと思っています。頭でっかちにならずに色々な知識を得るために研究、勉強していきたいですね。
野口寛斉
陶芸家。2013年 音楽を学ぶため渡米し、翌年芸術家を目指し帰国。現在八王子しにアトリエ「KANSAI NOGUCHI STUDIO」を構える。都内で個展や展示会を精力的に行なっている。
Instagram @kansainoguchi
Photographer_ Natsumi Ito
Interview_ Yuka Sone Sato
Editorial Direction_ Little Lights