
ものづくりの背景に敬意を払いクリエーションを讃える。サステナブルをテーマに、アーティストや起業家をはじめ想いを共有する挑戦者たちを紹介。彼らのヴィジョンから自分らしいスタイルのヒントを見つけ出します。
コンセプトに縛られない。隠すことから見えてくる池谷陸の挑戦
池谷陸は、モノクロームの被写体に独特の視点を滑り込ませて表現を模索する若手の写真家だ。写真家を名乗る前に別の肩書をいくつか持っていたこともあるが、年齢という数字によって肩書きがひとり歩きをしてしまい、個人の人生が揺さぶられることに今も疑問があるという。人々の欲望に応えるべきという、メディアの心情倫理の反復運動のような構造の中では、事実の中に隠れた繊細な真実が輝きを持ち続けることは難しいのかもしれない。自己表現に向き合いながら社会との歩幅を再認識している陸は今年21歳となり、新しい光を放ち続けているというのに。
ー陸さんは、元々ダンスの経歴があり、洋服を発表するようになってから著名無名年令問わずたくさんの人脈を広げて、現在は写真を生業としています。18年には『EVERYTHING IS CONNECTED』、翌年は『EVEYRYTHING IS CONNECTED 2』という題名で個展をおこないましたが、これらの個展を通してどのような「つながり」を表現したのでしょうか?
1回目の個展では、奇跡的ではなく自分がちゃんと行動していたからその写真がとれたということを伝えたかったんです。本当はテーマを付けたくないんですが運営側はテーマを求めるんですよね、はじめての個展にタイトルを付けなくて批判を受けたこともあって。展示写真の1枚1枚にはテーマがないんです。抽象的なもので構成されていたんですが、写真のサイズやレイアウトなどをインスタレーションのような感覚で楽しんでもらい、展示全体がひとつの作品になっているというようなことがずっとしたかった。テーマづくりが苦手なのかも。
ー作家主体でチャプターに分かれていたりする見せ方とか良いと思いますけれど。
この間、矢野顕子さんに撮影でお会いしたときもそういう話をしていました。いきなりカマキリ使いたいとか、砂を入れたいとかアイデアを投げるので、どういうコンセプトかって聞いたら、コンセプトもなにもないよ、いいと思ったからいい、それがアーティストでしょって。それで結構救われたんです。矢野さんのその時の作品もタイトルに意味がないけど、発音とか字体とかがいい、というようなことをおっしゃってましたね。


ー陸さんが服作りを始めたのは、ヴィジュアルを撮りたかったからだと聞いたことがあります。もともと全てをつくり上げたいという願望があるのでしょうか。
そうですね、写っているものの全てを自分が作ってディレクションをしたひとつの作品を作りたかった。ただ服を作りたいというわけではなかったんですが、大きく取り上げられすぎてしまったんですよね。今でもデザイナー兼写真家って書かれるけれど、そういうことじゃないんです。そういうイメージがついちゃうのは仕方ないけれど、今の所まだちゃんと撤回できてないのが気になっていて。
ーどんな肩書きがしっくりきますか?
いまは作家としてやっていく決意を持ってやっているから、フォトグラファーとか写真家に絞っていきたいです。真剣にやるって簡単じゃないけど、ちゃんと覚悟持って仕事しているので、デザイナーとかは辞めてほしい。

ーthのイメージヴィジュアルでは、アントワープのファッション史を築いたデザイナーの代表格であるアントワープ・シックスとともに歩んできた写真家、ロナルド・ストゥープスがメインヴィジュアルを撮影し、東京では陸さんがルックを撮っています。彼らとの関わりからどのような影響を受けていると感じていますか?
最初は僕の展示を(堀内)太郎さんが見てくださって、アントワープとの距離感や年齢の差がおもしろいと撮影することに。基本的にポートレートと風景をミックスさせた写真で、服より人にフォーカスすることが多いのですが、それを許してくれる太郎さんがいるのでできています。ロナルドとは直接教わるようなことは特になくて、写真も全然違うので、あまり合うことも会話することもないんです。ただ、アントワープでは日本では考えられないような乱雑な倉庫をスタジオにしていて、白バックが必要なときだけ白を足し算するというのがすごく衝撃で。アントワープは作家性の高いアーティストが多く、小さな町なのでアーティスト同士のつながりも強い。日本にいるときと比べて芸術的な好奇心が刺激されます。
ー今回、イトウナツミさんのポートレートを撮っていただきました。「顔を出さないポートレート」というテーマが作風とよく合うなと感じていたんです。
モノクロで撮るのは、変に印象をつけたくないというか服とか写真以外の部分を隠したいって思っていて。常に隠したいのは注目され過ぎていたから。10代だからこういう写真が撮れてるのがすごいのか、年齢とか関係なく良い写真なのか。メディアへの情報を一切排除したくて、一時期インタビューとかも全部止めてたんです。得した部分もあると思うんですけど、真剣に何かを始めるときにすごく邪魔で。自分もアップデートしているのでちゃんとキャッチして欲しいし、僕も人の情報を常にアップデートした見方をしないと失礼だなと。黙ってるだけでは変わらないとも思ったので定期的に展示をしたり、写真について聞いてくださる媒体の方とかには答えたいって思ってます。




ー1回目の展示は結びつきを肯定し、2回目は自分の感情を写し込むのをテーマとしながらも、見た人に感情を受け取らせようと思っていないのがおもしろいですね。ネガで反転させたり裏を出しているのに、展示で見てもらおうとしているというのも逆説的で。
自分の感情を写し込んだだけで、すごく一方的な展示なんです。意味を聞かれても、説明をしたくない。その人にもこれはこうなんじゃないか?っていうところで止めておいておきたい。隠したいんです。撮ったものもモノクロームだし、その時に見ていた色っていうのも出したくなかったりとか、隠したかったりとか。先日、ネガの反転をインスタでネガを反転させましたってDMしてきた人がいて。技術も発展してるし、見ようと思えば見える情報っていっぱいあるけれど、それをもとに戻したとて意味がない。「反転した写真ですけどこれどういう意味ですか?」っていうDMだったんですけれど、人には何も伝わっていないことで安心したことがありました。


ーググってすぐに調べられる世代、短絡的になりがちな思考へのアンチテーゼともとれるのかもしれないですね。
映画とかでも、答えを最終的に知りたい人って多い。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』では結末が何パターンかあって人によって終わり方が違う。映画自体のエヴァシリーズが終わったっていう捉え方の人もいれば、アニメの中で何個も終わり方があったり。でもみんな何が本当の終わりかってグーグルで調べたりする、自分が感じた終わり方で終わっていいのに。DMくれたコも、ここまでは自分で解析したけど最後まで知りたい、っていう欲があるみたいで。そこまでで終わっておいたら楽しいのにな、って。それぐらい好きっていうのが伝わって嬉しいですけれど。もしかしたら矢野さんみたいに結果的になにもないっていう可能性もあって。展示する側が何も考えてなくても、見てる側がなにがこうなってこうなんじゃないかって考えることでひとつの作品として成立しているから、それでいい。
ー以前ダンスをしたこともあり、今は見る(撮る)側の立場に。どちらの視点もあることのメリットはどのように感じていますか?
人が表現するところを撮るっていうのは、自分が表現してた分、他の人よりいいところをキャッチできてるんじゃないかなと思ってます。基本的にモデルに動いてもらうときとかも、一回自分でやるし、顔が自分じゃなかったら自分でセルフィーみたいなものでもいいかなって。綺麗に見えるポイントがあっても、ダンスをやったことない人には伝わらないんで、自分の顔が変わってやったら面白いのかなっておもったり。
見られる、というアクションは少なからず人の行動に影響を与えます。他人の視点が行動を制御したり、逆にエンパワーすることもある。顔を隠すことによって自己を客観視するようになったり、本心を具象化させやすくなる。社会に対する意見も含めて、視点というサブジェクトでもう少し掘り下げるべきだと考えて、プロジェクトを進めていこうと考えています。
ーアーティストとして良い社会へのメッセージを伝えて行けたらいいですね
ジェンダーや宗教、人種の問題とかについて発信するのは、僕は恥ずかしくないんですけれど、みんながそうではないですからね。個人的にはゲイの友達も黒人も白人もいっぱいいるしそれが普通だからフラットだけど、そうじゃない人もいる。だから作品や文字に起こしてもっともっと伝えていかなきゃいけないなと思っています。
池谷陸
写真家。現在はZIP AIRの広告やthのルック撮影ほかプロジェクトごとに名義を分けて活躍。作家性の高さでカルチャーシーンとのつながりを持ち、インサイダーとしての独自の視点による表現に期待が集まる。
Instagram @ikyri_