
ものづくりの背景に敬意を払いクリエーションを讃える。サステナブルをテーマに、アーティストや起業家をはじめ想いを共有する挑戦者たちを紹介。彼らのヴィジョンから自分らしいスタイルのヒントを見つけ出します。
廃材のアップサイクルでシャンデリアを作るアーティスト、キム・ソンへが願うサステナビリティに隠れた本当のメッセージ
不要になったおもちゃに新しい息吹をあたえるシャンデリア・アーティストのキム・ソンへ宅のリビング兼アトリエには、毎日のようにさまざまなガラクタが届く。企業と取り組みながらアーティストとして作品を制作をすること15年。いま世の中はサステナブルのレトリックに溢れ、社会の視点を180度変えるべく企業は振る舞う一方、実態が露呈することはめずらしいというパラドックスが発生している。今年春に行われたエキシビション『天国展』で在日朝鮮人3世としての違和感を題材にしたソンヘさんとともに、サステナブルについて考えた。
ーぬいぐるみを使ってシャンデリアを作ろうと思ったきっかけについて改めて伺えますか?
たまたま家にぬいぐるみがたくさんあったんです。好きで集めてた子たちが使われなくなって、仕舞われていくのが可哀想だなと思ったのがきっかけでした。当時ファッションショーや店舗の内装を手がける演出家を手伝っていて、その人が持っていたシャンデリアのノウハウを学んでぬいぐるみで作ってみたのが始まりです。

ーその後、青山のセレクトショップでの展示をきっかけに注目を浴び、マイアミのアートバーゼルにも出展されていました。
ファッションの店舗に勤務していたこともあり、自然とファッション系を軸とした広がり方になりました。アートバーゼルでは、サステナビリティが作品のテーマとして設けられていていらなくなったぬいぐるみと、スポンサーブランドの廃材スニーカーを集めたシャンデリアを展示しました。
ーサステナブルというキーワードをいつ頃から意識するようになり、どのような変化がありましたか?
元々、いらないものでは作ってたんですけど、これからの地球のためにこういう作品を作って伝えていくことが自分の使命なのかな、と腑に落ちたのはだいたい2年前ぐらいです。今まではかわいいさや楽しさで作っていたことが、目標が地球規模になったような感覚でした。変わったのは材料の集め方。以前は作品に合わせて真鍮で土台を作っていたのが、今はいらなくなったシャンデリアや廃材を使うようになりました。鉄や色んな素材をミックスしていて形状も上を向いているわけでもない。シャンデリアという定義から私も解放されなければいけないと感じ、意識的に制作しています。

ーこの春の個展『天国展』では、在日朝鮮人3世として東京で感じられる違和感を題材としていました。これまで全面に出さなかった出自をあえて公言したことにどのような思いがあったのでしょう?
元々、言うことにためらいがあったんです。「変わった環境自慢」じゃないですけど、アートってよくそういうのをテーマにしがちじゃないですか。でも私はそんな不幸じゃないし、みたいなのがあって。でもやっぱり国籍の違いや同じ国の人同士でも差別したりいがみ合ったりって、技術がどれだけ進歩してもずっと変わらず行われてる。それを見ていて、こういう環境に生まれたからこそ伝えていかなきゃいけないんだろうなって。
近年、サステナブルなアーティストとして呼んでいただくんですが、元々はそれだけじゃなくて。色んな素材、色んな顔をしたぬいぐるみを人に見立てているんです。肌が黒いとか黄色いとか違いがあっても同じようにひとつになって光を灯すことができる。ひとつになれる素晴らしさや強さみたいなことをずっとテーマにしてきていて、それが時代的にもテーマとしてぴったりだったのかなと。
世代を問わず、ぬいぐるみって全世界のほとんどが幼少期にかなり高い確率で持つものだと思うので、見る人は懐かしさを感じたり心が緩くなりがち。油断させてそこにグッとテーマを差し込むみたいなことができたら良いなと目論んでいたんです。

ー小さい頃、違和感を感じながら育ってきたソンへさんにとってぬいぐるみはどういう存在だったんですか? 感情を移入をしたり特別な思い出があったりするのでしょうか?
あまり深くかんがえたことはなかったですね……かつては友達のような感覚で一緒に寝たり遊んだり、旅行の時にも一緒に連れて行ったりとかしてはいましたね。
個人的な部分では、実は父がめちゃくちゃ”在日”だったんで、日本人を”超”差別してたんです、私たちは差別される側の立場だったけど。やっぱり朝鮮人も日本人をすごく嫌っていて。それを見て、だったらなんで日本に住んでるんだろう、帰ればいいのに、って単純に思ってました。父から発せられる対立感情や頑固さがずっと嫌だったんですよ。だから、小さい頃から固定概念を壊すことにやっきになったり、こうだと決めつける大人に対しては必死に戦っていましたね。
だからぬいぐるみとかはそんなに関係なく、抑圧的・差別的な考え方や対立をなくしたいという思いがずっと漠然とあったので、それを表現する素材が、たまたまぬいぐるみだったんです。

ー3名のお子さんを育てながらライフステージの変化を感じることが作品にどのような影響を及ぼしましたか?
子供が生まれるごとにいろんなフェーズを通って来たと思うんですけど、3人目ぐらいで、自分に対して少し開放されたかもしれないと思うようになりました。以前は、”こういう風に見られたい”という意識がすごく強かったせいで、自分の意見がきちんと言えなかったことも多かった。「こう言ったらこういう風に見られちゃうかな」とか考えすぎてしまって。でも色んなことを任せてもらえるようになり、好きな作品を作れていることから感謝の気持ちも大きくなり、堂々と作品にも自信を持てるようになって気持ち的にすごく楽になりました。
ー大人の決めつけに対する呪縛から解かれてきたのかも。また、特に対企業で仕事をする場合の女性の立場はそもそもとても低いですしね。不条理や違和感に対して声を上げるソンへさんのような人が増えてきたことで、徐々に多くの人にとって過ごしやすい世の中に少しづつ動き出しているのかもしれません。
そうですよね、ちょっと期待してます。これからの未来。

ー活動する中で廃棄の現場を見にすることも多いかと思います。廃棄の問題はファッション界でも大きな課題ですが、ソンへさんの現場ではいかがでしょう?
どの廃棄工場の社長さんとかも皆、口をそろえて「これ以上ものを作るな」って言うんです、無駄なものをもうこれ以上量産するなと。結局1人ひとりがものを大事にするとか、いらないものを買わないとか、個人レベルですべての人が徹底していけば割と解決することなんじゃないかな。根本ってすごいシンプルなんじゃないかなと思ってます。
私にとって今サステナブルの気運があって、作品を作って発表できるっていうことはありがたいこと。ですから、そこに自分の意思表示をしっかり乗っけていかなきゃなっていう責任感を持って続けていきたいと思います。
キム・ソンへ アーティスト
1982年、東京生まれ。在日朝鮮人の三世。18歳まで朝鮮学校に通い、その後織田ファッション専門学校に進学。卒業後作家活動を始め、2005年セレクトショップ「Loveless」にて展示したシャンデリア作品を契機にシャンデリア作家として独立。以降、国内外の企業やブランドへの作品提供、空間ディスプレイ、プロダクトデザインを手掛ける。2009年に韓国・ソウルのハンガラム美術館で開かれた「U.S.B: Emerging Korean Artists in the World 2009」展や、アメリカ・サンフランシスコのSUPERFROG Galleryでの作品展示、2016年には初の作品集『TROPHY』を刊行しラフォーレ原宿で大型展覧会「トロフィー」を開催。
https://kimsonghe.com