物を買う、発言する。そんな私たちの小さなアクションが社会を動かしていきます。まずは、身の回りや世界にはびこる社会問題に目を向け意識を変えることから。様々な執筆家を迎え、それぞれの気づきから考えを促します。
「生きやすくするためのSNSへの挑戦」ベイカー恵利沙
2017年にNYに引っ越してからたくさんの変化を実感している。なるべくオープンマインドでいたいし、変化には柔軟な方だと思う。その変化の大きな1つに社会問題への関わり方がある。そして2020年には、SNSの使い方という変化も追加された。
アメリカで社会問題について話すことへのハードルはほとんどないに等しい。食事の席でも、仕事中でも、友だちとも家族ともパートナーとも、いつだって政治や環境問題や差別について普通に話す。議論になることももちろんあるけど、それはそれで話を進める。去年のある日、パートナーが車を買い替えに行ったときでさえ、担当の販売員さんと人種差別についてパーソナルな経験を交えながら、随分長いこと話し込んだことがあった。社会問題について話すことは、それくらい自然で、普通なこと。日本にいると体感できないことのひとつかもしれない。
そのハードルの低さはSNSの世界でも同じ。例えば人気のインフルエンサーたちのインスタグラムのストーリーズには、お洋服やメイク、食べもの、政治批評、災害地域への募金のお願いがランダムに並ぶ。これは実はインフルエンサーだけに起こることではなく、友人たちもみんなそう。NYに住む人たちは、社会問題に関することを当たり前にSNSで発信をする。それに対して日本では、社会問題について少し話せば炎上してしまったり、’’社会派インフルエンサー’’と呼ばれたりすることもある。全ての人々が社会に属して発言権があるはずなのに、それについて話す人をわざわざ”社会派”だと区別して呼ぶ必要はないのにと、ときどき違和感を感じることもある。
2020年のアメリカはCOVID-19に加えて、BLM2020のムーブメント、大統領選挙と、人びとの生活を真っ逆さまに変え得る出来事が多くあった。その度、企業やブランドがそのイシュー(問題)に対してどのような立場を取るのか、ということが普段よりも非常に厳しい目に晒され、多くはSNSなどでいち早く声明を出して、立場を表明していた。“Silence is Violence(沈黙は暴力)”の国。何も言わない場合は問題に加担していると、非難され得る。その法則は、インフルエンサーにも当てはまるというのが興味深い発見だった。
私がアメリカでフォローしている人たちの多くは、とにかく社会問題についてよくポストするし、大きな問題が起きているときに、それについて話さないことを問題視する。2020年の5月以降、BLMの大きな一連のムーブメントの頃におけるSNSの世界では、アメリカに住む誰しものフィードがBLMに関するポストで埋まっていた。人種差別が起きている企業やブランドの名前がリスト化されて拡散されたり、“ここから物を買わないようにしよう”という動きが生まれたり。反対に“黒人オーナーの小さなビジネスを応援しよう!”と、利用すべき優良なブランドのリストが出回ったりもした。そしてその“審査の目”は当然インフルエンサーにも適用され、声をあげないインフルエンサーや、アウトフィットやメイクだけをポストし続ける人への批難は大きかった。過去の人種差別発言などが取り上げられては、その人をアンフォローする、という動きも多く見られた。SNS上で影響力のある人たちは、それを正当に使わなければいけないというのは基本倫理だけれど、BLM運動に関しては、特にそれが厳しく試されていたように思う。
アメリカで“話さないことへの非難”が起きているなか、日本ではBLMについて発信するインフルエンサーに対して厳しい意見が向けられるということも起きていた。社会問題を“話すことで起きる非難”という、アメリカとの真逆のリアクションを目の当たりにして、その真ん中で毎日を過ごしていた私は、随分心が揺らいだ。 私はどうSNSを使いたいだろうかと、悩まされた年にもなった。
あくまで私が個人的に感じてきたことだけど、日本ではいつもニコニコとポジティブでいることへの評価がとても大きくて、そうあるように日頃から世間に求められているように感じるときがある。そしてSNSの使い方にも、それが現れているのかもしれないと思う。インフルエンサーたちはポジティブなメッセージだけを届けることが求められているからと「SNSではネガティブなことは発信しない」宣言をする人も多く見かける。
2020年5月に起きた、警察の黒人差別による殺人事件に端を発したBLM2020運動の最中、私自身もそれ以外について何も考えられなかった。あまりの自分の無知ぶりに落ち込み、オフラインでも朝から晩まで黒人差別の歴史や構造的差別のことを学ぶために本を読んだり映画を見たり、友だちと電話で議論したり、一緒に住むパートナーと1日中話し続けていた。
私は、自分自身のSNS上でも社会問題についてフラットに話す、という要素を足したかった。もっと積極的に関わりたいし、学びたいし、話したい。自分を変えるよう今も努力をしているし、それに伴って、インスタグラムの発信内容も変わったと思う。それは意識して起こしている変化でもある。それでもやっぱりシェアするときにはとても勇気が必要だった。私自身はアメリカに身を置いているけれどフォロワーの皆さんのほとんどは日本にいる。だから余計、使い方をとても悩んだ。英語で書くには悩まずシェアできることも、日本語にするとなんだか攻撃的な言い方に聞こえたりして、慎重に言葉を選んだ。それでもとても勇気のいることだった。
毎日BLMについてしか書かない私のストーリーはどう思われていただろうか、と不安に思うこともあった。それでもあのときそれ以外について書くことの方が、自分の声に従っていないと感じた。そしてその学びと発信は、誰のために行うものなのかということを考えれば、自分が多少不安に思ったりする気持ちは乗り越えることができた。知ることで苦しくなった私なんかより、その事実を生き、もっと苦しい思いをしている人がいるのだ。
不安な思いとは裏腹に、私のフォロワーさんや友だちの本当に多くはみんな、一緒に学んで考えてくれた。私はもしかして過剰に心配していたのかもしれない。こうやってインスタグラムで素晴らしいコミュニティができたことを本当に嬉しく思う。
最近は日本でもSNSの使い方が変わってきているように感じる。私のフォロー傾向が偏りがちなのかもしれないけど、社会問題について発信するアカウントも、ファッションと同じトーンで社会問題を発信するインフルエンサーも増えたと思う。SNSの使い方は個人の自由であるべきで、良し悪しが判断できることではない。文化や歴史が違うから、どこかの国で良いとされていることを他の国に無理に求める必要ももちろんない。だけど、問題について話しやすい空気を作ることは、誰かの苦しさや生きづらさを減らすことに繋がると信じている。そしてSNSは、その空気を作る一歩になれるのかもしれない。みんなが話しているから話しやすい、というセオリーは絶対にあると思う。私がアメリカだと社会問題について話しやすいのは、そういう理由もある。みんな話しているから私も話せる、気軽に話す人が増えたら、話しやすい人も増える。どの国だって地域だって問題はある。そしてその問題をより良くしていくために必要な最初の一歩は、その問題について認識すること、話すことなのだ。
インフルエンサーという響きがあまり好きではないときもあった。どうしてだかは分からない。でもこうやってSNSを通して少しだけでも生きやすい世界を作れるのなら、長らく悩んできた、’’インフルエンサー’’としての役割を、今こそ正しく使えるときなのかもしれない。現代を生きる誰もが、苦しさを感じることもあるSNS。私自身も同じく、ときに苦しさや生きづらさの原因にもなり得るSNSを、世界を少し良い場所にするために正しく使っていくこと、それは自分自身への挑戦でもある。
ベイカー恵利沙
89年元旦生まれオレゴン州と千葉県育ち。早稲田大学政治経済学部を卒業。現在NY州アップステートで生活しながら執筆活動やブランドとの商品開発、ディレクションなどを行う。SNSでは気候変動や人種差別など幅広い問題に対して積極的に発言しながら、より良い社会に向けた活動を実践している。
Instagram @bakerelisa
Artwork_ Niky Roehreke
Editorial Direction_ Little Lights