
物を買う、発言する。そんな私たちの小さなアクションが社会を動かしていきます。まずは、身の回りや世界にはびこる社会問題に目を向け意識を変えることから。様々な執筆家を迎え、それぞれの気づきから考えを促します。
「森を見て、木を見る」COOKIEHEADが考えるバイアスの制し方
現在NY、ブルックリン在住。身近な社会問題の解決方法を地域のつながりに着目し、媒体での執筆や、自身のウェブサイトから発信をしている COOKIEHEADさん。自身の実体験や視点をもとにした記事からは等身大のアクションの大切さが伺え、なにか巨大なものとの戦いに途方に暮れる自分に活力を与えてくれる。日本では一般企業に務めていたものの、NYへの移住をきっかけにファッション業界へ転身。実務を通して業界の表裏を目の当たりにしてきた。COOKIEHEADさんの視点は、概念のアップデートが必要な現代やこれからの社会を作る人々へのエンパワメントとなって強く優しく訴えかけてくる。
「木を見て森を見ず」という言い回しがある。英語にも、"can't see the forest for the trees" という似た表現が存在する。「小さいことに心を奪われて、全体を見通さないことのたとえ」と定義されるこの現象は、環境や社会の問題と向き合うなか、はっと気づくと起きている。
”エコ”’ "サステナブル" "エシカル"と調べると、目に付きやすいのは具体的なこと。ゼロウェイストなど暮らしのなかで始めやすい変化のヒント、環境に配慮したオススメアイテム集、はたまた聞き慣れないキーワードの解説など、気の利いた情報に出合う機会がぐっと増えた。
とはいえ、<木>の話ばかりそこかしこにあふれているようで、いつしか困惑するようにもなった。なかでも、<森>を見ていない<木>の話には特に。事象の末梢的部分にこだわりすぎて、本質や全体をとらえることをついついおろそかにする状態におちいっている感覚が残るのだ。
自分の経験を振り返ると、「なにかしなくては!」と焦る気持ちは、たとえばショッピングの際、エコでエシカルと謳う商品に私を導いた。しかしその奥では、それでもどこかで生じる環境破壊や、それによって生活が脅かされる環境弱者の存在など、想像だにしなかったなにかにつながっていた。わかりやすいエコやエシカルは、置き去りにするものがまだまだあるように感じた。
このようなことを回避するためには、自分の身の周りを見直していくだけでなく、ひろく慎重に見るべきものを見られているか、確認することも忘れないでいたい。その習慣づけとして私は、「自身の定点から自らの目で見ることができる領域には、どうしても限りや偏りがある」と自覚することを始めた。
個人が<木>であり、個の集まりによって作られる集合体が<森>と仮定すると、<森>には大小さまざまなスケールがあることが、よくわかる。私たちの社会は、地域という<森>で形成されていて、それらが集まって世界となり、さらに地球へとつながっていることから、いくつもの森が重なってできている。それぞれの<森>と、定点に根を張る<木>=個人との間に存在する無数のつながりがつまびらかになる。
木は、個体の種類や特性ごと生息地の環境を生かしながら育ち、地域の、ひいては地球全体のエコシステムに影響を与える。<木>である私たちも同じように、個々のジェンダー、セクシュアリティ、人種、出身、肌の色、宗教、文化、経済状況、身体的・精神的状態など多様な要素を持ちながら、<森>で生きている。しかしながら残念なことに、みなにとって公平で健全なエコシステムを、すべての<森>で実現できているとは言えない。このように観察すると、協力、依存、利害……さまざまな、ときには残酷なつながりで、<森>が形成されていることに気づく。
遠かったり、隠れていて見えづらいものに目を向け、構造の理解に努める。すると、学校や会社、地域社会などのコミュニティにおける問題提起や提案、購買行動など日々の選択、そして身近な地方自治体から大きな国までさまざまな政府への投票や働きかけなど、一人ひとりが声をあげるアクティビズムにはそれぞれの意義があることが理解できる。
……こうして、「森を見て、木を見る」は、「地に足をつける」実感になる。
<森>と<木>の関係性は、ファッションのあり方を考えるうえでも活用することができる。
素材や生産と向き合い、スロウファッションをコンセプトのひとつとしたEQUALANDが始めた完全受注生産制。これを聞いてまず感じたのは、ファッション業界における、<森>と<木>の関係性 —— 余剰在庫・廃棄の問題や短期大量型消費主義の傾向などを抱えるファッション業界の<森>と、そのあり方の改善と向き合うEQUALANDのいちブランドとしての<木>だ。
私はNYのパーソンズ美術大学を卒業後、デザイナーズブランドで働いた。ファッション史の授業で学んだ業界の変遷を踏まえ、自分が身を置いたハイエンド・ラグジュアリー寄りの限られた視点から見ても、ファッションの世界のあり方や価値観はめまぐるしく変化し続けているのを痛感する。産業革命がもたらした機械化を経て、20世紀にはすでにメインストリームになっていたRTW(既製服の量産)のシステムはさらに発展し、近年のファストファッション台頭も転機となり、驚異的なスピードと規模を実現してしまった。言うならば、ものすごく速く変化するどでかい<森>ができた。さながら乱立する<木>のようなブランドの多くは効率をあげるべく、生産→流通→販売→廃棄などそれぞれの工程をグローバルに展開し、巨大化した<森>のなかには、環境汚染や労働搾取など見えないものが増えた。
生活者のファッションの楽しみ方も変化している。価格の選択肢は増え、お店とインターネットではつねに新商品が溢れ、どこにいてもすぐに買える。ぎゅうぎゅうに密集した<森>のなかで、EQUALANDのように欲しい方々だけに確実に届けるためスロウな受注生産制にあえて戻る<木>は、どう受け止められるだろう。利用者は、「待つ」時間をわずらわしく感じるかもしれない。
けれども、すぐに買えてもたちまち飽きたりダメになって処分される服の短いサイクルを見直すと、注文してから自分の手元に届くまでの時間には、なんだか尊さすら感じる。「待つ」時間は、「生産する」「販売する」「受け取る」「着る」「お直しする」「人に譲る」などのフェーズを思い起こさせる。そこには実際、それぞれに手間暇をかけて丁寧に施された手仕事と情熱があり、その背景には豊かな土地や自然とともに伝統を引き継ぐ心や人、そして母なる地球と共存するための精神が根付いているのだ。
もしすでに充分に服を持っているうえでなにかを買い足すとしたら、完全受注生産制で生じる少しくらい「待つ」時間なんて、どうってことないじゃないか。待ち望むことも、その一着を愛する長いながい時間の一瞬として、愛でればいい。
そう考えをめぐらせていたら、冒頭で触れた「小さいことに心を奪われて、全体を見通さないこと」は、ファッション業界の構造だけでなく、私たちのファッションにまつわる意識のなかにもあることに気づいた。速さは本来、ファッションの真髄ではなかったはずだ。スピードという<木>に縛りつけられてしまっている状態から自分たちを解放し、衣食住のひとつとして実用的な役割と、作り手・着る人どちらにとっても自己表現となる楽しく美しいエレメントを持つ<森>であるファッションを、思い出したい。
……そうして、「森を見て、木を見る」は、自分にとってのファッションの感覚をゆたかにする。
私たちが生きる今と未来は、たくさんの課題を抱えている。一つひとつと向き合おうとしても、具体的なことと概念的なことの狭間で、なにが正しいかなんて正直わからなくなる。
そういった状況におちいりそうな時に肝心なのは、本質や全体を見ながら、なにごとも自己で過大評価も過小評価もしないことなのだろう。そのためには、日々感覚を研ぎ澄ませ、たくさんの個が集まった森とそこで生きる木のいろんなあり方を、じっくりと実直に見ることの大切さを感じている。
COOKIEHEAD
ブルックリン在住 。地球と動物と人を思い、循環やサステナビリティを意識するインスピレーションを綴るウェブマガジンTHE LITTLE WHIM主宰。IDEAS FOR GOODなどで環境問題や都市生活者などに取材するなどの執筆活動やデータリサーチなど活動は多岐にわたる。
Instagram @thelittlewhim/
https://thelittlewhim.com/
Artwork_ Maddalena R
Editorial Direction_ Little Lights